2014年1月16日木曜日

蒔舞先生が日本にいらっしゃいました!


 先日の記事にも書きましたが、このお正月、蒔舞先生が日本にいらっしゃいました!
 日本の年越しの雰囲気がお好きで、ここ数年間この時期はお姉さま共々日本で過ごしていらっしゃるそうです。ただし、お姉さまのお仕事の都合もあるので、冬コミ二日目への参加までは難しいらしい。残念!

 先生からメールをいただきまして、この機会に直接お目にかかることに。
 以前、虚無~をまだなんのあてもないままに訳してみていた頃からメールでのやり取りはあったのですが、こうして日本での出版が実現して、先生ご本人ともこうしてお目にかかれて、というのはやはりものすごく感無量。

 というわけでかなりどきどきしつつ、メールで待ち合わせ場所を打ち合わせ。で、この課程で私のガラケーでは先生からのメールが文字化けすると判明しまして、なのでまず確実に行き違うことはないと思われる待ち合わせ場所として新橋の第一ホテルの本館ロビーラウンジを指定。八時に待ち合わせることにし、私は少し早めに行って机の上に虚無を置いて待っています、ということに。

 なにぶん私の中国語、読むのは任せておけな代わりに発音と、特にヒアリングがかなりまだまだ苦手。典型的な日本人の語学なのですよ。ああ、自慢にならない……。旅行時は常にノートを持ち歩いて、聞き取れなければ書いてもらって読むという状態なので、メールが使えないというのはかなり問題があるのですね。

 しかし、なんとホテルに着いてみるとラウンジに「クローズド」の札が! ええ?

 お正月ということで営業時間が変わっている可能性も考え、ホテルのサイトも調べて行ってるのに? しかもラウンジ前に年末年始の各店舗の営業時間表が貼ってあって、それを見ても今日は夜の十時まで営業していることになっているのに?? (後で友達に話したら「偽装じゃん(笑)」と一言。おお、言われてみれば(爆)!)

 とはいえ、クローズドの札の向こうではスタッフが掃除機まで掛けちゃっていて、どう見てもこのラウンジは閉店している。さてどうしよう? お店そのものは蒔舞先生がご飯まだだった場合に備えて帝国ホテルに移動、という手段も視野に入れてはいたのですが、そもそも待ち合わせが成立しない可能性があるじゃないか!

 内心真っ青になりつつ、とにもかくにもラウンジ入口に座って、いっそここで本を並べるべきだろうかと悩みながらホテルに入ってくるお客さん(幸いそれほど人数は多くない)に目を走らせていたところ、あ、なんとなーくこの人っぽい気がする、という感じの方が入ってらっしゃいまして、そうしたらやっぱり蒔舞先生でした。

 ご挨拶の後、さっそく帝国ホテルへ移動します。
 こっちは予定していた店が案内どおりに営業していまして一安心。まだぎりぎり夕食時間帯ということで満席だったため、少々待つ間に先生からお土産をいただき、私の方も些少ながら用意していったプレゼントをお渡ししました。
 今回先生は御自分の他社でのシリーズ本と新作、それに同人誌を持ってきてくださいまして! それとパイナップルケーキ、そして肉鬆(ロウソン)をいただきました。

 実は、このお土産の中で「あ~!」と思ったのがこの肉鬆でした(笑)。
 肉鬆というのは、台湾に行ったことある方はたぶんご存知なのですが、お肉で作ったでんぶです。ふりかけのようにして食べます。台湾では昔は給食にも出てきたというポピュラーな食べ物で、時にはパンの中に入っていたりすることも! 初めての旅行のときにパン屋さんで「肉鬆派(ロウソンのパイ)」を売っていたのを「肉醤派(ミートパイ)」と読み間違えて買い、かじったら中からこれが出てきて吃驚したものです。
 
 蒔舞先生の「示見之眼」で主人公がハウスキーパーのおばさんが作ってくれたむちゃくちゃおいしい朝ごはんを食べるシーンに、「できたて熱々でしかも上には細葱と鰹節醤油がたっぷりかかっている炒り立て肉鬆」が出てくるんですねー!! なんておいしそうな描写なんだ!

 先生もご飯はまだ、ということでご飯をオーダーし、あとはひたすらしゃべるしゃべる!

 先生は高校生のときから日本語を勉強していらっしゃるということで、ほぼぺらぺらです。さらになんでもお父様が、台湾のテレビで放送していた「暴れん坊将軍」が大好きで、先生も一緒に見ていらしたそうな(台湾では結構普通に日本のドラマが放映されている。放映されていなければ海賊版があったりもして、台湾ドラマを一クールに一本くらいしか見られない日本とは雲泥の差だー)。で、先生自身、台湾ドラマより日本ドラマが好きで、特に刑事ものはあぶない刑事から踊る大捜査線、相棒までがっつり見てらっしゃいます(アメリカドラマにはまったのはここ数年だそうです)! 前、横浜に来られた際は、あぶない刑事にも出てきた赤レンガ倉庫が残っていて嬉しかったとか(ただ、商業施設になっちゃっているのには吃驚だったらしい)。お台場はこれまたまだなんにもない時期で「湾岸署はどこ?」と思われたらしい。ちなみにお姉さまは歌舞伎ファンだそうです。

 そして香港映画の話も。やはり先生も香港映画で刑事役をよくやっている俳優諸氏、お好きだそうで! 特におじさん俳優が!!

 あと、作品の裏話も伺っちゃいました! これ、実は前から不思議だったんですが、「示見之眼」初版バージョンはイラストレーターさんがころころ変わっているんですよ。1~5、6、7~9、外伝と全部で四人。実は最初のイラストレーターさんは先生のお友達で、当時はまだ学生さん。で、お願いして書いてもらったものの、6巻では都合がつかずにチェンジ。更に6巻、7~9巻の方は、発行時期がしばらく空いている内になんと連絡がつかなくなってしまった(大陸在住の方だと割とよくあることだそうで)。なので外伝とそのあとの同人誌はまた別な方になり、今発行されている版では1~9までもこの方のイラストで統一されている、という事態になったんだそうで。

 あ、それで、嬉しいことがありまして! 私、実はこの外伝と同人誌は売り切れで持っていないんですよ。そしたら先生が下さるそうです~!
 台湾は売り切れたら絶版、という事態が多いんですね。再販制度がないのであちこちの書店が独自の割引価格で売っていて、売り切れたらそれきりになりがちです。もっとも大手ネットショップだと、再入荷予定になっていることもあります。ちなみに直営ネット書店でも、「欠品」となっているので再版を待っていると「絶版」となってしまい「え?」と思うことが多い。ただ、絶版、となっていたのが今度はいきなり再版されていたりして、絶版の定義がいまいちよくわからないんですが……。

 それと先生は今年がプロになって十年目ということで、五月に台湾である即売会において記念誌を発行すべく今執筆中です! この記念誌はなんとかしてみなさんにもご紹介したいです。
 そういえばこのイベント、台北大学の体育館で開催されるのですが、台湾は割とコンサートとかでも大学施設でやることが多いです。日本では、不特定多数が集まるしかも大学と関係ないイベントに大学施設を会場として貸す、ことってまずないので、特にコンサートなんて「学際でもないのになぜわざわざ大学で?」と思っていたのですが、単に台北は使えるホールが少ないので大学の体育館も大箱としてカウントされているんだそうで。

 こんな風な台湾小ネタもいろいろ伺っちゃいました。

 そして、とても嬉しかったこと。私の訳を読んで先生は「私も日本語でならこう書く。この言葉を選ぶ。そう思う言葉が使われている」そう思われたそうです。それがとても嬉しかったそうですが、私の方こそ訳者冥利に尽きます! 日本語読める原作の方にそう言っていただけるだなんて!! これからも頑張る。しみじみとそう思いました。

 結局先生とは十一時過ぎまでしゃべり倒し、閉店ちょい前にお店を出て、新橋駅でお別れしました。とてもとても楽しい時間でした。

 今年の七月、私は東京国際ブックフェアに参加するので、その前に取材のためにも是非一度、今年の前半のどこかでもう一度台湾へと思っていたのですが、そんなわけで五月の即売会に参加すべくGW明けあたりに行こうと決め、ただいま友人達と日程を調整しつつなんとか旅費を捻出しようとしております。先生が台北の書店を案内してくださるそうです!

2014年1月14日火曜日

恆春のおじさんとおばさんからプレゼントいただきました!



 遅ればせながら、明けましておめでとうございます。
 昨年は結局十二月は一回も更新せずじまいという体たらくだったのですが、今年はもうちょっと頑張ろうと思っております。なので本年もよろしくお願い申し上げます。

 この年明け、日本で年越しすべく蒔舞先生が台湾からお姉さまと遊びにいらしてまして、この機に乗じてリアル世界で初顔合わせ(これまではメールオンリー)をしたのですが、新橋で待ち合わせるべくメールでやり取りしていると、私のガラケーでは基本的にメールが文字化けすると判明。これまではパソコンでのやり取りだったので気付かなかったのですがー。待ち合わせにパソコン担いで行けというのか……。
 なるべくわかりやすい場所で待ち合わせたため、無事にお会いできたのですが、これではやはり不便だということで、台湾旅行を二度共にしたガラケーに別れを告げ、海外でもばっちり使えて中文メールも文字化けしないスマホに乗り換えることにしました。

 蒔舞先生との初対面、ざっと三時間のしゃべり倒しについては、また記事にしますね!

 お店で色々説明を受けて大体機種も決まり、そしてやはりパソコンも一気に買い換えてしまったほうがよさそうだなと思いつつ(翻訳修行開始からの私の相棒はXP。買い換えねばならんのだろうなとは思いつつ、予算的にできればもーちょい先で、と思っていた矢先、十二月から妙な音を立てるように……)、帰宅すると台湾から小包が届いておりました。

 恆春のおじさんとおばさん、といっても親戚が住んでいるわけではなく、以前旅行した時に出会ったとても親切なご夫婦。

 台湾のぐっと南の方にある小さな街(鎮)、恆春(ハンチュン)は映画「海角七号」の舞台になった街で、12年4月の台湾旅行の際に遊びに行きました。

 一年中春のように暖かいので「常春」という意味の「恆春(恒春)」という名前が付いているだけあって4月だというのに海水浴ができそうな暑さのこの街で、少々迷子になりかけた際、道を聞きに入った車屋のおじさんとその奥さんです。

 スクーターの後ろに私を乗っけて街を案内してくれた上、お昼までご馳走してくれたこのご夫婦にお礼の手紙を送りたくて、住所がわからないので、「お願い届けて」というこの街の郵便局宛の手紙と「この辺にある」とマークをつけたグーグルマップ、ストリートビューで見つけたお店の外観と、おばさんの写真も同封して、郵便局に送る、という方法で送ってみたところ、ちゃんと届けてもらえたのです。届けてくれた局員さんいわく、長年郵便配達していて初めての事態だった、らしいのですが、さすがは海角七号の街の郵便局!!

 去年祖母が死んでしまって喪中なので、春節カードの代わりにクリスマスカードとプレゼントを送った、そのお返事でした。

 実はプレゼント、横浜の地図やガイドになっている手ぬぐいを見つけたのでそれを送ったのですが、手ぬぐいやハンカチは涙や汗を拭うので、相手が苦労したり悲しいことがあったりする事態を想定していることになってしまうためプレゼントとしてはNG、だというのを後で知りまして(大汗)。「やっばー」と思っていたのですが、喜んでもらえたようでほっと一安心。

 柿と落花生のストラップ、瓢箪(中国語では葫蘆)のストラップ、そしてプレゼントを包んであるバッグも柿の形。
「好柿花生」⇒「好事發生」(ハオシーファーション。いいことがありますように!)
「幸葫滿蘆」⇒「幸福滿爐」(シンフーマンルー。幸せがお鍋にいっぱい!)
「柿柿如意」⇒「事事如意」(シーシールーイー。色々なことが思い通りになりますように!)
という語呂合わせだそうです。
 日本でいうと「斧琴菊」みたいな感じですね。

 この翌日にスマホに切り替え、パソコンも二万円割引してもらえて、早速「好事發生」です。
 あとはスマホにストラップがつけられるようにしなくては!
 残念ながらさらっとスマチェン、とはいかず、よたよたとスマチェン中です。昨日は切り替え三日目にしてようやく電話の取り方がわかりました。



 恆春へは、高雄とかから高速バスが出ています。台湾をぐるっと回る台鉄からちょっと外れているので、公共交通機関はバスが頼り。行きも帰りも割と朝早くから出ているので通勤通学に利用している人もいるようです。昼間の便が少なめだったようで、バス停には議員さんによる「グッドニュースよ! バスが増便されたの、バス会社に交渉して私が勝ち取ったよ!」という手書きのポスターがありました。

 街の真ん中、警察署の隣りにあるバス停はSAのような建物になっていて、インフォメーションもトイレもあります(ということに気付かず、私は警察でトイレを借りてしまいました)。行きのバスを降りたところにはセブンイレブンもありますが、ちょっといった南門の先には朝早くから営業しているパン屋さんもあるのでどうぞ。お持ち帰りのピンクのビニール袋に可愛いイラストと「おいしげだ」というちょっと残念な日本語が書いてあるこのパン屋さん、安くておいしいです。お店の小姐は日本語も話せます。

 「海角七号」の舞台に行きたい人は、朝のうちはバス停付近をぷらぷらして、主人公阿嘉の家として撮影された民宿(今は民宿は休業して小道具とかが展示してある)「阿嘉之家」が開くのを待ちましょう。ここでロケ地マップを売っているので、それを手に散策すれば迷子になりません。映画では小さな街に見えますが、ロケ地は隣りの町とかも使っているので結構広いです。無理はせずにのんびりと、行ける範囲を回りましょう。バス通りでもある中山路(この辺では南門路と呼ばれる)を二十分弱歩いたところにあるカエル(水蛙)が働いているバイクショップへ行く途中にはジューススタンドがあります。安くておいしい、マックのLサイズよりも更に大きなジュースを目の前で作ってもらって是非水分補給を!

 昔はパイワン語で「蘭」を意味する言葉の発音に漢字を当てはめた「瑯嶠(ランジァオ)」という地名だっただけあって、今も蘭、特に胡蝶蘭の栽培が盛んな街。横浜あたりだと冬は家の中に入れてやらねばならない胡蝶蘭が、ここではガジュマルの木の幹とかでワイルドに咲き誇っています。他にはたまねぎが特産品で、道を歩くと収穫したたまねぎがごろごろと干してあるのによく出くわします。お土産にはたまねぎクッキーがお勧め。バターの利いたたまねぎ味のクッキーで、一緒に飲むのはコーヒー紅茶よりはスープとかが合います。クラッカー感覚でお召し上がりください。おつまみにもいけると思う。

 日本でいうとアイヌ語に漢字を当てはめた北海道の地名のような「瑯嶠(ランジァオ)」が、「恆春」になったのは清朝末期。恆春の街に今でも残っている、東西南北の四つの門ができた頃です。

 中国の昔の都市というのは昔から、周りに塀を作って門を構えています。ロードオブザリングやマ王のアニメなんかでも、城があって城下町があって、高い城壁があって、その外は野原、みたいな風景がありますが、あれが四角くなっています。日本だと平城京とか平安京がそれに倣って都市づくりをしたので、できた当初は塀と門がありました。ただし日本だと基本的に国内には当時敵がいなかったのでなんだか簡単に乗り越えられそうな塀だったりするんですが、中国だとそうは行かない。がつっと石垣です。万里の長城の短いバージョンという感じの、上を走り回って矢が放てたりするそれなりに奥行きもある塀がぐるっと街を囲んでいます。

 さて、時代は清朝末期。明治な日本で当時はまだ琉球王国(日本と清朝でお互いに、うちのもん、と主張中)だった沖縄の漁師さんが嵐に遭い、台湾に流れ着いちゃったよ、ということがありました。で、台湾原住民の人に助けられた、らしいんですが、その後、どういう行き違いがあったのやら、この漂流漁師さんたちがなぜか次々に原住民の首狩りに遭ってしまう、という事態が起こります。どうにかこうにか数人が逃げ延び、漢人の入植者に保護してもらって福建経由で帰国したのですが、このことについて日本政府が「あんた、うちの国民に何してくれてんの?」と清朝に苦情を言ったところ、清朝の対応がまずかった。

 「あー、台湾ね。あそこって基本的にうちは管理してないんで。原住民とかとそもそもコミュニケーションしてないし、だからうちに文句言われても困るっつーか?」的な返事をしちゃったもんで、自分の領土増やしたい日本としては「あ、そーなの? オッケー、わかった。んじゃ、うちあそこに出兵するんで。原住民倒してあそこもらうんで」と、台湾に出兵。

 牡丹社事件、と呼ばれるこの事態を受けて、当然ながら清朝焦った。「あーっ、ちょい待ち、ごめん、そこ、うちの土地! ほら、ちゃんと城壁とかも作ってるし! ばっちり管理してるから、ね!」と主張のためのパフォーマンスに慌てて作られたのがこの街の城壁だった、というなんだか泥縄という言葉を思い出さずにいられない歴史の一ページ。ちなみにこの時の講和で、清朝が日本の出兵を「自国民の保護のため」だったと認めたことで沖縄人=日本人という流れができ、日清戦争後に沖縄は日本の一部になっています。

 そしてこの城壁を作った清朝の役人が、ここの地名を「恆春」と変えました。結構有能な人だったらしく、清朝末期における台湾の発展に色々貢献しているのですが、牡丹社事件の四年後に五十九歳で病死しています。

 この城壁と城門は当然台北にもあったのですが、都市の近代化を進めるのに邪魔、と日本統治時代に取り壊されました(まあ、現時点で山手線内側、位の広さの台北メイン市街を更にミニマムに区切っていたわけなので仕方ないっちゃ仕方ない気がする)。一番綺麗だった西門(今の西門町にあって、あんまり綺麗なので日暮しの門的なニックネームが付いていたらしい)が最初に取り壊され、日本人含めてあちこちから「文化財破壊じゃん!」と文句が出たため、次に綺麗だったという北門は取り壊しを免れ、今も台北駅の西側にちょっといったところに残っています。

 ただ、後ろが高速道路で、更にすぐ横にも車がバンバン通っていて、周りにビルがいっぱい、という景色に埋もれているので、はっきり言って全然魅力的に見えないんですよ。絵本の「ちいさいおうち」みたいな感じ。

 その点、恆春の門は一味違います! 青空の下、小さなターミナル状に整えられた道の真ん中に凱旋門のように聳えている南門、住宅地からこじんまりとしたレトロな商店街に通じる西門、城壁の上に上がれる東門、北門。

 特に南門は、台北もこんな風にすればいいのに、としみじみ思っちゃうんですが、うーん、高速は地下化して道は整えるとしても、ビルはなあ……。